撮影:本社写真部

 

「新曲はどうするのか。もっと売れ筋の歌を作ってほしいというプレッシャー……。私は疲弊し、気づいたら音楽を心から楽しめなくなっていました。華やかな芸能界の中で、私こそが異邦人だったのです」

オリエンタルなムードに溢れた名曲『異邦人』。誰もが一度は聞いたことがあるだろう。1979年、カラーテレビのCM曲として放送されはじめると、一躍ヒットチャートに。しかし、この曲でデビューした久保田早紀こと久米小百合さんは、突然の変化に心がついていかなかった。当時の苦悩とその後の人生を、本日発売の『婦人公論』7月23日号で語っている。

デビューから5年後に芸能界を引退し、本名の久保田小百合に。そして結婚して名字が変わったという久米さん。当時は21歳だった彼女も還暦を迎える年齢になり、今年、自叙伝『ふたりの異邦人』を発表した。

「どうして芸能界を引退したの? という声が聞こえてきそうです。理解していただけないだろうという気持ちから封印していたこともあるし、芸能界の裏事情は言えないと口を閉ざしていたこともありました。でも心の奥では、時期が来たら胸の裡(うち)を明かしたいと思っていたのでしょう」

久米さんは、オーディション後に声をかけてくれたレコード会社に曲を提出する日々のなかで、1曲が担当者の目にとまり、CM曲に採用。あれよあれよという間に時の人になった。いきなり「来週、『夜のヒットスタジオ』の出演が決まったから」と告げられ、強ばった顔のまま出演することもあったという。

「歌番組に出演していた頃、私は『愛嬌がない』と言われていました。でもあれは、緊張していたからなのです。周囲の人に、『異邦人』というミステリアスな曲のイメージを保つようにと忠告されていたこともありました。本当はおしゃべり好きで、ケラケラとよく笑う明るい性格。幼い頃から今に至るまで少しも変わっていません」

『婦人公論』2019年7月23日号

しだいに「久保田早紀」にがんじがらめになり、追いつめられていった久米さん。音楽の原点を振り返り、思い出したのは幼い頃に聞いていた賛美歌だった。教会に通い、洗礼も受けた。しかし、「久保田早紀」であるためには信仰心を隠さねばならない。これでは「純粋に歌いたいという気持ちと両立できない」と悟り、活動にピリオドを打った。

引退の翌年に結婚し、12年後には一子も誕生。子育てに奮闘しながら、賛美歌を歌う22年間を過ごした。

「私は全国各地の教会で歌っていますが、望まれれば「異邦人」も歌います。若い人にとっては『けっこう歌えるオバサンが来た』という感じなのではないでしょうか」

と、久米さんは笑った。

そのほか、『異邦人』の誕生秘話、結婚と子育ての詳細についても、本誌では語っている。