そこから聖書に関心を持ち、教会に通うようになりました。洗礼を受けたのはデビューして1年が経過した頃のことです。両親は静かに受け止めてくれました。落胆していた祖母も、大切なのは信仰心を持つことなのだからと、最後には理解してくれたのです。
でも仕事関係の人にはほとんど伝えていませんでした。その頃作った歌が「ちょっと表現が宗教的すぎない?」とダメ出しをされたことも重なって、次第に自分の信仰を隠すことにフラストレーションを覚えるように。
このままでは、商業ベースで消費されるだけの音楽活動と、純粋に歌いたいという気持ちを両立させられない……。これが5年間の芸能活動にピリオドを打った理由です。85年、26歳のときでした。私は「久保田早紀」の名を捨てて、無名になることの素晴らしさをみしめ、新たな道を歩み始めたのです。
無駄な経験は一つもない
翌年、「ザ・スクェア」のキーボード担当だった夫(作・編曲家の久米大作さん)と結婚しました。所属事務所もマネージャーも同じだったことからスクェアのライブを観に行った私が、一方的に彼のファンになったのが馴れ初めです。夫はクリスチャンではありませんでしたが、私との結婚を機に改宗しました。できれば信仰に対する価値観が一致しているほうがいいと思っていたので嬉しかったです。
結婚後、私は神学校に通ったり、新約聖書を原典で読みたいとギリシャ留学をしたり……。知り合いの牧師さんに「教会で歌ってくれませんか?」と依頼を受けて、私がお役に立てるならとお引き受けしたのが音楽伝道者として活動するようになったきっかけでした。
私たち夫婦はずっと音楽仲間といった感じでしたが、結婚12年目にして息子が生まれ、初めて家族になれた気がします。息子の反抗期がなかなかに凄まじくて、苦悩した時期もありますが、おかげで忍耐力を培うことができました。無駄な経験は一つもないのだと気づき、久保田早紀時代があったから今があるのだと思うようにもなりました。
私は全国各地の教会で歌っていますが、望まれれば「異邦人」も歌います。若い人にとっては「けっこう歌えるオバサンが来た」という感じなのではないでしょうか(笑)。私の使命が歌を通して愛の大切さを伝え、人の心を癒やしたり、勇気づけることなら嬉しいなと思っています。