こうした工夫で作られた番組を、1人が「面白い」と思ってくれたら、口コミで聴いてくれる人が増えていきます。「1人の後ろには100人のお客さんがいる」と僕はよく言うんです。

もう一つ、宣伝活動として始めたのが講演会です。講演会といっても漫談のようなものですが、50歳でTBSを辞めてフリーになった僕には貴重な収入源でもありました。

各地の商工会に呼ばれてひとしきりしゃべった後、「ラジオもやっているんで、よかったら聴いてください」って呼びかける。すると番組を聴いてくれる人も増えるし、「安く呼べて面白い話をする男がいる」って僕自身も仕事が増える(笑)。多いときは年間126回も講演会に飛び回っていましたね。

13時に番組が終わるやいなや、冬の時期はコートの袖に腕を通してエンディングの挨拶をすると、テーマソングをあと15秒残してスタジオを出る。スタッフが停めておいてくれたエレベーターで降りたら、赤坂駅から地下鉄の先頭に乗って、二重橋前駅から東京駅まで猛ダッシュ。

すると、13時25分くらいの新幹線に乗れる。高崎なら14時ちょっと過ぎについて14時半から1回目の講演、夜にもう1回講演して、最終の新幹線で東京に戻ってくることができました。

移動や休憩の間には次の日のゲストについて調べ物もできるし、講演会の前後に聞いたその土地の面白い話を翌日のラジオで披露できます。空いた時間はスタジオに入ってクイズ番組のナレーション録り。

忙しかったけれど、放送局の人間はまず報道マン、宣伝マン、そして営業マンじゃなきゃいけないんです。非常に楽しい、充実した毎日だったと思います。