アイドルという存在に興味がなかったからこそ

なぜ「少女A」というタイトルになったかと聞かれれば、僕がアイドルという存在に興味がなかったからです。僕は31歳で、まだまだイキがっていた青臭い人でした(笑)。洋楽っぽいバンドやアーティストが好きで、アイドルや歌謡曲がどちらかといえばあまり好きではなかったです。もともと雑誌を作ったりコピーライターをしていたのですが、勧められてシャネルズ(ラッツ&スター)の歌詞を書いたことで作詞をやることになっただけで。

事務所の方に「麻生さんも(彼は僕のことをいつもシャネルズのクレジットに使っていた麻生麗二の名前で呼んでいた)歌謡曲を書いたほうがいいよ」と言われて、初めてアイドルの曲を書いたのが、この時だった。イキがっていた僕が自分に対しても格好がつくタイトルだったんですね、「少女A」は。無駄な努力なのですが、こういうのは(笑)。でもね、そういうことが大切になる時が人生ではあるわけです。“所謂普通の”アイドルらしい詞を書くことでは、格好がつかなかったのだと思います。考えてみればそれで結局救われたからね。救われたというのは、独自の道が開けたということです。
 

初めてアイドルの曲提供に挑戦したのが「少女A」だった。『LA VIE』という、いまで言うインディーズの男性ファッション誌を編集していた頃の売野さん

「少女A」は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画の世界観が元になっている。『ヴェニスに死す』という美少年タジオと初老の作家アッシェンバッハの危険な恋を描いている不朽の名作だ。(*原作はトーマス・マン)

僕はアッシェンバッハの目線で一度沢田研二さんに「ロリータ」という題名の曲を書いてボツになったことがあって、その原稿とアイディアが新鮮なまま頭に残っていたわけです。その少年タジオを少女に変えて、少女目線でもう一回再構築したのが「少女A」です。つまりジュリーが「ロリータ」という曲を歌っていたら「少女A」は存在していなかった、ともいえますが(笑)。それはありえなかったな、僕には自由自在に書けるほどの技量もなくて、「ロリータ」はボツになるのにふさわしい、完成度が低い作品だったからね。