いきなり社長に

兄はカンボジア旅行の理由を父には告げず、僕も退職の相談はしませんでした。なんなんでしょうね、男同士って(笑)。そういう大事なことほどしゃべらない。でも僕が戻ってきたことを父はすごく喜んでいた、とあとで聞きました。

経営のために帰国したわけですから、僕はいきなり社長になりました。スタッフにしてみれば、日産にある日カルロス・ゴーンがきたようなもの。

倶楽部はそれなりにうまくはいっていたけれど、両親も兄もサラリーマンの経験がないので、世間からズレた点も見受けられました。

たとえば夏の繁忙期、スタッフが当たり前のように「1日も休んでいません」と言うわけです。それって労働基準法においてアウトじゃないの、と僕は思う。でも両親や兄からすれば、芸能人は仕事が入れば入った分だけ休みなく働くものだし、農家も決まった休日なんてありませんしね。

とはいえ、そのままにするわけにもいかず、社労士さんと相談して就業規則を整えました。

大雑把な金銭感覚も、少し改善をお願いしましたね。父は「宗助が帰ってきてから、オレ用のワインをどんどん安いものに替えやがる」なんて冗談ぽく愚痴っていましたが、実はそれで気に入ったのが、セブン─イレブンのアルパカというワイン(笑)。

倶楽部のお客さんにまで「安いのにけっこうおいしいんだぞ」と勧めていました。そういう気取らないところも、父らしさだったと思います。

兄は長期入院が続くようになり、15年5月に47歳の若さで亡くなりました。母はそのショックから認知症が進んでしまい、いまは地元の高齢者施設で穏やかに暮らしています。