何としても大学を卒業してもらいたかった

小遊三 師匠の門を叩いたのは大学3年のとき。噺家になる道を探るべく、末廣亭に通っていろんな落語を聴くうち、「カッコいい、よし、この人に決めた」というのが遊三師匠で。大学はやめるつもりで「弟子にしてください」と言ったら、「修業は何年もかかる。後ろ盾になってくれる人を連れてきなさい」と。

遊三 先々、花が咲くかどうかわからないのを預かるわけだからね。責任があるもの。

小遊三 噺家になると決めたときに家を飛び出しているから、親父お袋は無理、兄貴も烈火の如く怒ってる。それで、ひとまわり上の姉を連れて行ったんです。師匠は姉に「うちには自由に出入りさせます。そのうち熱が冷めて来なくなったら、ちゃんと就職させればいい。もし思いがずっと続くようなら面倒をみます」と。そのとき、師匠はまだ30歳になる前。こういう言い方もなんですが、あの若さでしっかりしてましたよね。

遊三 もしも挫折して就職するとなったとき、中退じゃ大変だ。それで、とにかく大学は卒業しなさいと。

小遊三 師匠からは、「あと1年、死に物狂いで勉強して卒業するだけの根性がないと噺家は務まらない」とも言われました。出入り自由、メシも食わせる。ただし、正式入門は卒業証書と引き換えだと。もう真っ青ですよ。

遊三 単位が足りない、とか騒いでいたな。

小遊三 1年後、卒業証書を手にすると、その足で師匠のところに飛んで行き、「ちゃんともらってきました」と言ったら、「ほっほう、けっこう大きいもんだな」でおしまい。(笑)

遊三 実は嬉しかったんだよ。あたしらの時代には大卒の噺家なんてほとんどいなかった。談志さんだって中卒だし、志ん朝さんも小三治さんも高卒。だから大卒なんてのが羨ましくてね。何としても卒業してもらいたかった。そうこうして、うちに来たわけだけど……。