幽玄な山間に植えられる柚子の木
1978年創業、宮崎県の山間のひっそりとした村に「かぐらの里」はある。今でこそ九州最大級の生産量を誇る柚子の生産地となったが、それまでの道のりは苦難の連続だったという。会社従業員の半分は神職や神楽祝子という特殊な環境も含め、土地との密接な強い想いを二代目社長で、銀鏡(しろみ)神社の神職である濵砂修司氏に聞きました。
(Photo by Hidetaka Nobu)

 

――まずこの土地に柚子事業が起こった歴史をお教えいただけませんでしょうか。

濵砂 まず、この地の柚子の歴史というか、そこは実はそんなに古くないんですよね。
おおよそ産業として考え始めたのは約50年前くらい。

それ以前は柚子がなかったのか?と言われるとそういうわけではなく、在来種としてお酢の代わりに植えられていたんです。 

当時この地域は林業での生業がほとんどでした。
もっというと農業で生計を立てるという考え方がなく、自給自足が当たり前で、お金を稼ぐという考え方もない。

それが林業の好景気時代をむかえ、山の木を伐採しパルプ材として出し、その後に植林をする事でお金を稼ぐ、という習慣ができ始めたんです。
自給自足にプラスアルファの要素ができたわけですね。

とはいえ、じきに林業の景気もどんどん下がっていきます。