――それでも続けられていた理由はなんだったのでしょうか。

濵砂 やっぱり「村への想い」でしょうか。産業を作らないと、もう村自体が壊滅してしまう。

当時から父親は、「産業」と「学校」と「神楽」の三本の柱を維持・継続していくことが、「村の存続」と繰り返し話していました。三本柱の一端を担うという意味で、柚子事業へ想いを持って継続していく形になるんですね。

ちなみに神楽とは、神様に奉納するための舞のことで、地元には銀鏡神社があります。全国4000の神楽の中で、2番目に国の文化財の指定を受けた神楽で、毎年12月に33の演目を夜を徹して舞い上げます。地域にとっては誇りであり、心の礎みたいなもんです。

我が家はもともと「宮人家」といって、珍しいんですが宮司と共にその神楽や神社を守る側の家柄なんです。そんな家柄ということもあってか、過疎化の影響で神社や神楽も維持することが大変な状況でしたから、なおさら新たな産業を興して支えたいと思っていました。
 

――では当初はやはり柚子事業だけに専念なさるおつもりだったと。

濵砂 えぇ、ですが結局全部に首を突っ込んでしまったんです。

産業を盛り上げていければ雇用の場となり、ひいては学校が残る。
学校さえ残れば未来が残るというわけで、学校存続のため山村留学制度を立ち上げその会長に就任しまして。
ついでに山村留学制度が始まった2年目には、その里親まで引き受けちゃうわけです。

明日の自分の生活を心配をしながら、他人の心配をしなくちゃいけない。
そして文化の心配も全部同時にやっていくわけですから、家の中はもう喧々諤々ですよ。