携帯電話もポケベルも持ってなかった時代


「離婚してほしくない」と伝えたと思うが、願いは叶わず両親は離婚し、わたしと弟は家に留まり母と住んだ。父は出て行った。

父が居なくなっても生活はさほど変わらなかった。
時折、父に会いたくなったが、なんとなく、母には言えない雰囲気があった。
今から35年も前の話だ。携帯電話もポケベルも持ってなかったし(世の中にもなかったのか?)連絡を取るにしても、父親の職場に電話するしかなく、当時のわたしにとっては勇気のいることだった。それに、わたしは離婚はしたが父親から連絡があるものだと思っていた。しかし父親のほうから連絡が来ることはなく、「大事に思われていないんではないか」という思いが湧き出てきた。

と、若き日にそういえば寂しかったなあ、わたしは可哀想だと自分で嘆いたなあ、という感情を、番組に出てくる子どもたちをみていて思い出した。

親の離婚は、わたしの人格形成に影響を及ぼしたと思う。
もしかしたら、いい影響ではない、と言う人もいるかもしれない。わたし自身「いい影響じゃない!親のせい!」と泣いた過去もある。

だが、それも、わたしのパーツの一部だ。親が離婚したあの日のことを思い出したところで全く悲しくなかった。それどころか思い出そうとすると少しニヤけるのだ。やばい、どうにかしてしまったのか、わたしは。

ベッドでくつろぐシティとクティ

辛い過去だったはずだが。
いい思い出ではないけれど、悪い思い出でもない。ただの、思い出。
(親はわたしを大事に思ってるという自信が今はあるからなのかな。わからないが)

そんな日が来ますので頑張ってください、
と若き日のわたしに
伝えてあげたい。


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