優れていた点(1)―「朝廷」対「御家人」という構図へのすり替え

さて、この政子の演説はどこが優れていたのでしょうか。そのことを明らかにする前に、まず押さえておきたいことがあります。

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後鳥羽上皇が命じているのは「義時追討」であって、「幕府追討」ではない、ということです。上皇自身も幕府と正面からの武力衝突をするつもりはなく、鎌倉方の武士も含めた多くの武士たちを、自らの味方につけることで、武力を背景に、幕府の中から義時を排除することを狙っていました。

ですから、ほかの御家人の立場からすれば、「義時どのに犠牲になってもらえば、我々も逆賊にならずに済むし、幕府も安泰ではないか」という選択肢もあり得たわけです。

そんな中で政子の演説が優れていたのは、本来なら「朝廷VS.義時」だったはずの対立の構図を、「朝廷VS.幕府に仕えてきた御家人たち」という構図にすり替えたことでした。

「頼朝公が幕府を創設して以来、皆さんの官位も俸禄もずいぶん上がりましたよね。これはすべて頼朝公のおかげです。皆さんもきっと、頼朝公に対する感謝の気持ちは深いことでしょう。ところが今、頼朝公が私たちに与えてくださったものが、すべて奪われようとしているのですよ」と、政子は訴えかけたのです。

御家人たちは、朝廷や平家全盛の時代、自分たちが牛馬のようにこきつかわれ、どんなにひどい目に遭ってきたか、ということをよく覚えていますし、若い世代は、そうした話を親世代から聞きながら育ってきました。

上皇の命に従って義時を追討すれば、どうなるのか。幕府は維持できるかもしれませんが、朝廷との力関係は再び逆転し、朝廷に平身低頭、ひざまずかなくてはいけない日々が戻ってくることになります。政子の演説は、もし上皇の命に従えば、自分たちの暮らしが今後どうなるのかを、御家人たちに具体的にイメージさせるものでした。