交渉成立後は拙速を尊ぶべし
政子の演説の後、幕府の中では二つの作戦案が検討されました。
一つは、足柄・箱根で防衛ラインを固め、京都からの追討軍を迎え撃つという案。もう一つは、今すぐ積極的に京都へ攻め込もうという案でした。
前者のほうが、敵方が来るのを待っている間に軍を整えられ、より大勢で戦いに臨むことができます。しかし、幕府の官僚であった大江広元(おおえのひろもと、十三人衆の一)は、これに真っ向から異を唱えました。
「戦うことが決まったのに、なお日時を無為に過ごすのは上策ではありません。そんなことをすれば御家人たちは、いらぬ思いをめぐらしかねません。もし、心変わりする者が出てきたら一大事です。それゆえ、たとえ泰時どの(義時の子)一人だけだったとしても、すぐに出撃させるべきです」
この意見に、政子と義時は賛同。すぐさま兵を整えて、出陣することが決まりました。
「兵は拙速(せっそく)を聞く。未(いま)だ巧(たく)みの久しきを睹(み)ず」
という言葉が『孫子』(作戦篇)にあります。「戦いは、たとえ拙劣でも、即決が大事であり、いかなる戦巧者(いくさこうしゃ)でも、長引いて成功したためしはない」という意味です。
交渉も同じです。合意が得られたら、相手が心変わりする前にすぐさま行動しないと、せっかく決まったことが覆されるリスクがあります。
承久の乱において、政子・義時姉弟が、朝廷に弓を引いて勝利するという、日本史上唯一の例外を成し遂げることができたのは、御家人たちとの交渉成立後に、拙速を尊んだ行動ができたからでもありました。
※本稿は、『日本史を変えた偉人たちが教える 3秒で相手を動かす技術』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
『日本史を変えた偉人たちが教える 3秒で相手を動かす技術』(著:加来耕三/PHP研究所)
プレゼン、会議、商談など、相手を動かさなければならない場面は数多い。どうすれば、相手を自分が思うように動かせるのか? それを教えてくれるのが、歴史上の偉人たちだ。交渉の場面で、彼らがどのように勝利を得てきたのかを知れば、仕事力が格段に上がる!