プレゼンテーションや会議、商談といったビジネスの場はもちろん、日々の生活のなかでも、友人や家族など、自分以外の誰かに動いてもらわなければならない場面が多々あります。でも、相手を“思うように”動かすのはなかなか大変……。歴史家・作家の加来耕三さんは「その方法を教えてくれるのが、歴史上の偉人たち」と語っています。たとえば相手に合わせて臨機応変に対応する力という意味で、優れていたのが、かの伊達政宗だそうで――。
社交界において引っ張りだこだった政宗
「人を見て法を説け」という言葉があります。「相手の性格や価値観、能力や知識に合わせて、助アドバイス言の仕方を変えろ」という意味ですが、交渉事においても、相手に合わせて臨機応変にアプローチの仕方を変えていくことが、大切になります。
この臨機応変力において、日本史の中でも右に出る者はいない、と筆者が感心しているのが戦国武将・伊達政宗です。
人を見て法を説くためには、まず「人を見る=相手を知る」必要があります。
相手を知るためには、情報収集が欠かせません。
政宗が生きた戦国時代の情報収集の手段と言えば、何と言っても手紙でした。政宗はものすごい筆まめで、生涯に書いた手紙の数は軽く1000通を超えているだろう、と言われています。
こちらが手紙を送れば、当然、相手から返事が返ってきます。その返事を読めば、相手の性格や考え方、今おかれている状況などがつかめます。また手紙には、中央の政局やキーパーソンの動向などについても情報が記されています。政宗は手紙によって、将来、交渉相手となり得る人物の性格や考え方、今の状況などを把握していたわけです。
また政宗は、大名同士の社交の場にも積極的に顔を出していました。
政宗は和歌や茶道に関する深い知識があり、当代きっての教養人でした。
戦国時代と言うと、文武のうち「武」のイメージが先行しがちですが、「文」に優れた人物も尊敬を集めました。そのため政宗は、多くの大名から「ぜひ一度、茶会や歌会でご一緒したいものだ」と思われ、社交界において引っ張りだこになっていました。
その社交の場が、情報ネットワークの構築と情報収集の場にもなっていたのです。