気づかないうちに大きな格差が……

彼女と私は何かが違うとはっきり気づいたのは、お互いが還暦を過ぎた頃だ。長い介護でパートすら辞めてしまった私が身につけているアクセサリーは、カラフルだが、何年も前に買ったイミテーション。

一方、彼女は地味でも一見して上等とわかる服にダイヤのネックレス。「それ、本物?」と聞くと、「イヤリングとペアで50万円くらいかな」とさりげなく答える。もはや40年前の布カバンの彼女とは別人だ。

彼女の子どもたちは全員独立したので、夫と2人で住む家を新築。野菜作りが趣味の夫のために、海が見える庭つきの別荘まで購入したという。自分の畑でとれた野菜を手にする夫の写真を見せてもらうと、自信に満ち、笑顔が眩しい。40年前に青少年の集いで会ったときはパッとしなかったのに。

一方、若い頃は芸能人に間違えられたわが夫は、お腹が出て見る影もない。しかも、たびたび転職したので、家計は安定せず、住宅ローンが残っている。病気や失業で独立できない30歳過ぎの子どもを抱えているので、私も夫も老体にムチ打って、若いときより過酷な状況で働く毎日だ。

老後の備えをしなかったわけではない。どんなに生活が厳しくても、公的年金はかかさず納めてきた。個人年金にも入り、公務員時代の年金を加えればやっていけるだろうと思っていた。

しかし、個人年金は1割源泉徴収されてしまうし、公務員時代の年金をもらうには、若い頃に受け取ったわずか数万円の一時金に数十万の利子を加算して返納しなければならない。現金で一括払いか、年金から差し引かれるか。だが、差し引かれたら子どもの小遣い程度しか残らない。

彼女は今度、働きながら取得した資格を活かして教室を開くそうだ。「働いていたときは世の中が灰色に見えたけど、今は薔薇色だわ」と明るい顔の彼女を見ていると、今になって思う。何があっても、仕事を辞めなかったのは賢明だ。子育てや介護はいつか終わる。でも、自分の人生は死ぬまで続く。苦しくても先を見て、目の前のことに翻弄されてはいけなかった。

彼女に会うたび「一緒に長生きしましょうね」と言われるが、私の笑顔はひきつるばかり。もはやゴージャス老後と下流老人。住む世界が違う。しかし今さら、失った時間が戻ることはない。

私の好きな相田みつをさんが言っている。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」。たとえ下流老人と思われても……。


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