立て続けに後ろ盾を失った
いまでこそ背が高いことは私の強みにもなるんでしょう。ただワキ役が一人だけ背が高ければ舞台で悪目立ちしますし、女方もできない。合う衣装もない。お稽古で「そこのでかいの、もっと端に」と言われたりもするわけです。
当時は若さもあって、真剣に悩んでいました。そうしたら、昨年亡くなった中村吉右衛門さんが「オレも背が高いことでイヤな思いをしたよ。だけどばあやが言うんだ。『坊ちゃん、うまくおなんなさい。いい役者になったら背が高いぶん、うまくなったとこが目立つんですから』って。だからお前もうまくなればいいんだよ」と声をかけてくださった。あの言葉は、一生忘れられませんね。
ほかにも、苦しいことはたくさんありました。歌舞伎界を離れていた期間が長かった父からは、「お前、絶対苦労するぞ。オレは役をつけてやれないし、食えなくなるよ」と言われたのに「それでもいいから」と言い張った。いま思うと、なんであんなこと言っちゃったのかなあ。(笑)
初舞台のあとは八代目三津五郎のおじに教わっていて、高校卒業後は部屋子になることが決まっていました。でも卒業の1ヵ月前、突然おじが亡くなってしまった。意気消沈していると、ちょうどその月、同じ舞台に出ていた十四代目守田勘弥のおじが「来月からオレが預かる」と言ってくださったのに、今度は勘弥のおじが千秋楽の日に倒れてしまった――。
あのころは、さすがに自分になにか悪いものでも憑いているんじゃないか、とずいぶん落ち込みました。