それからは父のところにおりましたが、僕が25歳のとき、父が体調を崩し、もう長くないと思ったのでしょう。「お前、この先どうする?」と聞いてきました。僕は市川猿翁さん、当時の猿之助さんの舞台が大好きだったので、「澤瀉屋で勉強したい」と言ったら、息子を頼みたい、と入院先から電話してくれたようです。

澤瀉屋も快く引き受けてくださり、その年の11月公演で、以前父がやっていた役を僕にくださった。抜擢ですよ。父は、その千秋楽の前夜に逝きました。いまでも忘れることのできない舞台です。

猿翁さんは「スーパー歌舞伎」といった新しい歌舞伎を創出するだけでなく、ヨーロッパ等での海外公演も多かった。これが、びっくりするくらい海外の方に受け入れられるんです。

ストーリーがわかりやすいよう、『義経千本桜』などのダイジェスト版を上演するのですが、カーテンコールの沸き方がすごい。チューリッヒではみんなが床を踏み鳴らすので劇場が壊れるんじゃないかと思ったくらいです。あんな大熱狂にはなかなか出合えません。感激で涙が出そうでした。

ほかにもリヒャルト・シュトラウスの『影のない女』など、オペラ作品の演出を猿翁さんが数多く手がけてらしたので、演出助手もやらせていただきました。歌舞伎のみならず、オペラの演出もそばで勉強することができたんです。

そのかわり、睡眠時間は毎日4時間くらい(笑)。役者として舞台に立ち、演出の打ち合わせに行き、稽古では猿翁さんの指示を伝えて回る。『ヤマトタケル』初演の際は、台本の手直しや音楽制作にも関わらせていただいた。
当時はなりふり構わず忙しくしていました。

<後編につづく


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