父の坂東好太郎は映画の隆盛期に、30年あまり映画やテレビの世界で活動していました。最初は松竹、最後は東映……とほぼすべての映画会社を渡り歩いたんじゃないかな。物心ついたころの僕は京都・太秦の撮影所近くに住んでいました。
東京オリンピックの前々年、八代目坂東三津五郎のおじの襲名を機に、父と兄が歌舞伎に戻ることになって。東京に引っ越しました。僕は歌舞伎俳優になるよう、言われたこともありませんし、むしろ父は僕にこの世界で苦労させたくないと思っていたようです。ただ3歳から踊りのお稽古と、あと三味線のお稽古はしていました。
あれはいくつのときだったのかなあ。大人の方が黒田節のお稽古をなさっていたのを見て、「僕もあれやりたい」と言ったのだけど、お酒を飲む振りがあるのでやらせてもらえなかったんです。「だったら、もうやめる!」とダダをこねてお稽古をしばらく休んだらしい。まあそのころから、お酒に心惹かれていたということなんでしょうか。(笑)
僕は舞台が好きでしたので、小学校に入るころから父の舞台をよく観に行きました。帰りに銀座にあったおもちゃ屋に寄るのがとても楽しみだったのを覚えています。自分も舞台に立ちたい思いはあったんですが、幼少期に初舞台を踏まなかったもので、そのうち背がどんどん伸びてしまった。
小学校卒業時には160センチを超え、ずいぶんランドセルと半ズボンが似合わない子に(笑)。そうすると、もう子役では出られないんですね。私の初舞台は、17歳のときでした。