佐藤さんじゃだめだ

日本でパンダが有名になった天皇訪欧直後、1971年10月末から11月上旬にかけて東京都の美濃部亮吉(みのべりょうきち)知事が中国を訪問した。

上野動物園の中川志郎飼育課長が72年1月11日付『読売新聞』の取材に答えたところによると、この訪中の際、美濃部はパンダの譲渡を中国側に申し入れたが「数が少ないから」と断られたという。

美濃部は訪中にあたり、佐藤栄作政権を支えていた自民党の保利茂(ほりしげる)幹事長から、日中国交正常化を中国に打診する書簡を託されていた。しかし、周恩来と会談した美濃部は、国交正常化は「佐藤さんじゃだめだ」という印象をこのとき受けたとのちに語っている。

この後、72年1月10日に北京動物園を見学した社会党衆議院議員の土井たか子も「パンダ(大クマネコ)をぜひとも日中友好の使者として日本に譲ってほしい」と申し入れた。しかし、北京動物園側は「今後の話の進展しだい」と、色よい返事をしなかった。

これらの経緯から、日本の政界及びメディアでは、「佐藤政権下では中国との国交正常化が叶わないこと」が「パンダが来ないこと」と結び付けられていった。

そんな不満の広まりを感じさせる新聞記事を一つ紹介しよう。

ニクソン訪中でアメリカにパンダが贈呈された直後の72年3月6日付『読売新聞』夕刊には「パンダ、アメリカへ」と題する、読者投稿らしき次のようなジョークが掲載されている。

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子供―日本には来ないの?

ママ─佐藤さんがしっかりしないからダメよ

子供─ボクにぬいぐるみのパンダ買って……

ママ─パパがしっかりしないからダメ!

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