ついに日本の土を踏んだパンダ

72年7月に佐藤政権が退陣し、田中角栄政権が成立した。

中華人民共和国の国連加盟やニクソン訪中といった国際情勢の変化や、日本国内の政財界からの期待を背景に、田中政権は発足当初から日中国交交渉に乗り出す。

同年9月、田中角栄は日本の首相として初の訪中を果たし、日中両国政府は同月29日に「日中共同声明」に調印した。いわゆる「日中国交正常化」である。

一方、日本と台湾の中華民国は断交し、日台間には民間の実務的な交流だけが維持されることになった。

さて、日中共同声明調印後に行われた記者会見の冒頭、二階堂進内閣官房長官は「中国人民から日本人民に対する贈り物として、パンダ雌雄一対が贈られた」と発表した。

その約一ヵ月後の10月28日、日中友好のシンボルとしてオオヤマザクラとニホンカラマツの苗木各1000本を積んだ日本航空の特別便が北京へと飛んだ。その折り返し便に乗ってカンカンとランランが羽田空港に到着する。

日中国交正常化による友好ムードが日本全体を包み込むなか、二頭は生きているパンダとして初めて日本の土を踏んだ。