巨大な社会現象となったパンダ・ブーム

パンダがやって来るにあたり、日本各地の動物園が飼育を希望した。そのなかから受け入れ先に選ばれたのが、首都・東京に位置し、珍獣飼育の経験も豊富な上野動物園である。

来日9日目の11月5日より、カンカンとランランの一般公開が始まった。日本社会が初めて目にした二頭の生きているパンダは、熱狂的なブームを引き起こす。

【写真】カンカンとランランの到着を報じた『読売新聞』の記事。1972年10月29日朝刊より(提供:読売新聞社)

公開初日の上野動物園にはパンダ目当ての来園者が押し寄せ、「2時間並んで見物50秒」といわれるほどの大混雑を見せた。徹夜組を含めた入場者の列は上野駅まで2キロメートルにも及んだという。

上野動物園の年間入園者数は一挙に増加して700万人を突破し、公開後一年間で届いたファンレターは4000通にものぼった。爆発的な人気にあやかって『パンダコパンダ』(東宝)をはじめとする関連映画も多数制作され、都内には「パンダ」の名を冠する喫茶店やバーなどの店舗が30軒以上も出現した。

パンダ・パンなどの関連商品は日本各地で流行したという。自民、社会、公明の各政党も選挙対策にパンダのバッジや巨大ぬいぐるみを使用し、日中関係への貢献度をそれぞれアピールする。パンダ・ブームは当時の中国ブームとも相まって、巨大な社会現象となったのである。

※本稿は、『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)の一部を再編集したものです。


中国パンダ外交史』 (著:家永真幸/講談社選書メチエ)

ちょうど50年前の1972年10月、日中友好の証として、上野動物園に2頭のパンダがやってきた。しかし、中国がパンダの外交的価値に気づいたのは、1930年代にさかのぼる。戦争と革命、経済成長の激動の歴史のなかで、パンダはいかに世界を魅了し、政治利用されてきたか。国際政治、地球環境などさまざまな問題と絡ませながら、近代国家の自己像をパンダを通して国際社会にアピールし、近年では、一帯一路構想下でのパンダの送り先や、二度の北京五輪で採用されたパンダのキャラクターなど、その利用はますます巧みになっている。2011年刊の『パンダ外交』(メディアファクトリー新書)を全面改訂し、新章を加筆。