蒙古軍にとって対馬海峡横断は「なんとか」可能だったレベル

ほかにも、卑弥呼の時代の埴輪にみられる船の形状を再現して航海実験し、成功したともいわれていますが、実際は設計が適切ではなく、ほかの船に曳航(えいこう)されたようです。

歴史学者や冒険家が史料や文献から推定し、工学的に検討せず製作した船による航海実験はほとんどが失敗しています。実際に船がどのような寸法、形状、重さであり、復原力、漕力と速度、波浪がどうであったかを数値化して検討しておくことは非常に重要です。一般的に海峡の横断については、海流速度と船速の比からシミュレーションすることができます。

図1を見てください。船速が遅いと、出発してから下流側に大きく膨らみながら流され、航海距離も長くなるので、船速と海流速度が同じでは目的地にたどり着けません。海峡を横断するには、海流の2倍以上の速度が必要なのです。

図1:蒙古軍船による対馬海峡横断のシミュレーション。『日本史サイエンス』より

対馬海峡を横断する場合、海流の2倍の速度ということは、2〜3ノットは必要ということになります。

これに加えて、波や風の影響も考慮しなくてはなりませんが、蒙古軍船は櫓のみの走行でも2〜3ノットくらいの船速であったと推定されるので、対馬海峡横断はなんとか可能だったと思われます。

※本稿は、『日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る』(講談社ブルーバックス)の一部を再編集したものです。


日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る』(著:播田安弘/講談社ブルーバックス)

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