勝負は常に負けた地点から
2016年12月、藤井さんが中学生棋士としてデビューした最初の対局の相手は私でした。会場の東京・千駄ヶ谷の将棋会館は、単なる予選なのに報道陣でいっぱいだった。38年前、私が名人になったとき取材に来ていたのは、NHKのニュース班だけだったのに(笑)。藤井さんとのこの対局は、62歳6ヵ月という年齢差も大きな話題になりましたね。
お互いに早く到着してしまい、対局の20分前から、報道陣がいるなかで藤井さんと2人、向かい合いました。なんだか気まずい雰囲気でしたが、彼は眉一つ動かさず、微動だにしなかった。これはすでにプロだなと思い、感動しました。
また対局中、私はおやつにチーズを食べたのですが、藤井さんは私がおやつを口にした5分後にチョコレートを食べました。対局中の規則は特に何もないのですが、先輩に対する心遣いもきちんとできる。ところが戦い終わった会見で、彼はこう言ったんです。
「加藤先生が対局中にチーズを食べる姿を見て、その仕草がかわいらしかった」
これにはびっくりしましたね。先輩のことをかわいらしいなんて言う棋士は、これまでいませんでしたから……。(笑)
対局の結果は藤井さんの勝利。実際に戦ってみて、彼がかなり将棋の勉強をしているということを感じました。そこで、私は藤井さんについて、「今は天才に近い秀才。20歳で八段になっていれば、天才と呼びたいが、どこかで伸び悩んで六段あたりにいれば普通の人」と話しました。
秀才というのは学校の勉強と同じで、コツコツ勉強をして成績が上がる人のことです。問題はそこから「天才」になれるかどうか。天才棋士とは、タイトルを勝ち取るなど常に第一線で活躍し、ほかの棋士では思いつかない素晴らしい手を指し、将棋の歴史に名を残す存在のこと。
しかし私の心配をよそに、藤井さんは私との対戦後、公式戦で29連勝という偉業を達成。これは本当にすごい記録です。前人未到のこの記録を作り上げたことが、彼をさらにひとつ上の段階へステップアップさせたのではと、私は思っています。
連勝記録が途切れたとき、私はツイッターで藤井さんに、こうメッセージを送りました。
「人生も将棋も、勝負は常に負けた地点から始まる」
その後、藤井さんは15歳9ヵ月のとき、最年少で七段に昇段。そして、ついに最年少タイトルホルダーになりました。