「ロイヤルホスト」の試験店を福岡市に
55年にはアイスクリーム製造事業を開始。同じ年に事業を整理し、飲食関係に一本化して、レストラン、ベーカリー、アイスクリームの三事業を統合して「ロイヤル」を設立しました。いよいよロイヤルの船出です。
当時、江頭さんが意識していたのは不二家でした。洋菓子店として出発した不二家は飲食や喫茶のできる店として多くの店舗を展開していました。江頭さんは西日本に店舗を拡張して不二家をしのぐレストランチェーンを築き、飲食店を産業化することを目標としました。
56年にはケーキの冷凍技術を導入し、冷凍したクリスマスケーキの製造販売を開始しています。また、57年には日本で初めてといわれるアメリカンスタイルのファミリー向けレストランを福岡で開業しました。
1969年には、のちのファミリーレストランの原型となる、大衆向けレストラン「ロイヤルホスト」の試験店を福岡市に出店。同じ年には、福岡市内に本社機能と本格的なセントラルキッチン機能をあわせ持つ「ロイヤルセンター」を開設します。
1955年に「ロイヤル」を設立して飲食業に一本化した江頭さんの事業は、10年後の1965年には店舗数23店、従業員600人超にまで成長していました。
※本稿は、『「おいしい」を経済に変えた男たち』(TAC出版)の一部を再編集したものです。
『「おいしい」を経済に変えた男たち』(著:加藤一隆/TAC出版)
非常で残酷な資本主義を生き抜きたいなら、この創業者にたずねよ!
いまや300万人が働き、市場規模30兆円を誇る外食産業。それは金融などのように「護送船団方式」で守られた産業とは違い、誰にも守られず、生存競争に明け暮れた剥き出しの資本主義そのものだった! 歴史を紐解けば戦後直後の料飲禁止令、農産物の輸入規制と自由化の波、さらには食と安全をめぐるさまざまな問題や、「ブラック」批判など、数々の苦境を乗り越え、生き延びてきたのだ。そんな、これまで戦後日本経済史では見向きもされなかった、「おいしい」を経済にしてきた「50年続く飲食チェーン」を築き上げた6人の異端の外食創業者たちの情熱と苦闘、そして経営術に、長年業界団体で数々の苦難に遭遇してきた業界の生き証人が迫る。