堀 実はこれまでに何度か「最初の歯科医師がなぜ初期の段階で見つけてくれなかったのか、それが悔しい」という話になることがあったんです。なぜかそういう怒りって突然、降って湧いてくるんです。もどかしくやるせない気持ちが澱(おり)のようにどこかに溜まって、何かの拍子にポンと出てくるんです。
ちょうどそのときは舌の調子が悪くて、つい愚痴っぽく主人に、「あのときに見つけてくれていたら、こんなことにならなかったのにと思う」と言ったんです。
そうしたら主人が「確かにそれはそうだよな」と受け止めたうえで、「でも、いつまでもそう思っていても、そこから前へ進めなくなるんじゃない?」と言ったんです。その言葉にカチンときて、「いや、そうじゃなくって、あなたは腹が立たないの?きっとあなたにとっては人ごとだからってそんなふうに冷静に言えるのよ」と言い返したんです。
すると、私が舌がんの手術中、病院の廊下で待っていたとき、主人は、早期発見してくれなかった歯科医師のところへ行き、「なんで見つけてくれなかったんだ!」と怒鳴り込もうと思ったと話してくれたんです。
「でも、文句を言ったところで、全部録音されるだろうし、そこで僕が頭にきて何かしてしまった場合、僕ら2人が社会的地位を失うことになりかねない。そう思うことで自分を踏みとどまらせた」と。何より本人は発見できなかったことを自覚している。わかっているはずだからって。
主人がそこまでの怒りを持っていたことを初めて知り、私の怒りがすっとおさまったんです。
清水 ご主人が一緒に怒ってくれたということが大きかったわけですね。おそらく「そんなことを怒っても仕方ないだろう」と言われただけでは、堀さんもカチンときただけで終わっていたかもしれません。ご主人が一緒に悔しい思いをしてくれたことが伝わったことが、堀さんの心を癒やしてくれたんですね。
堀 もともと主人が先に通っていた歯医者さんだったので、本人も相当信頼していた人なんです。だから、もしかしたら、彼のほうが私より後悔が大きかったのかもしれない、とそのとき思いました。
医療の訴訟をしたところで、私の舌が元に戻り、元のように普通に話せるようになるわけではありません。だったら忘れるしかない。相手を許すのではなく、相手の存在を心から消すことで腹を立てないことにしたんです。結局、誰かを恨んでも解決はしないし、恨みの気持ちを持ち続けること自体がしんどいですから。