「弟子」も「後輩」も育てることが出来なかった私

私が新卒の22歳で入った1980年、下は20歳(募集が20歳からだったため、同期でも年下がいました)、上は34歳。多いときには30人近いキャスターが在籍し、しかし、やることは、ほぼ同じ。生番組の《外回り》としてレポートを入れたり、タレントさんをラジオカーの後ろに載せ、中継のお手伝いをしたりする仕事でした。社員ではなく、タレント契約だったので、期は関係なく、売れっ子もいたし、そうではない人もいた職場。和気藹々とやっていたとは言えず、《女の園》でもありましたから、16年間、共学の学校で育った私には、戸惑うことも多かったのです。

プロデューサーやディレクターの《お気に入り》の先輩や後輩には嫉妬もしましたし、《キャラクター採用》といわれた私を使いたがるスタッフもいたので、逆に嫉妬されたことも。全員がライバルでもありました。

だからでしょうか、今、私が付き合っている人はキャスタードライバーではなく、当時、仕事を共にしていた男性アナウンサーやディレクターばかり。

その後、結婚、離婚を経て、私は30歳からライターと放送作家になったとき、「何が何でも元夫を見返してやる」というテーマをもって仕事をしていたため、キャスタードライバーを卒業後、家庭に入った人たちとの関係を絶ったことも関係しています。振り返ると、当時の私は本当に仕事でステップアップすることしか考えていませんでした。そうするしか、自分の心のバランスをとることができなかったのだと思います。何度も書かせていただいていますが、私は夫を略奪されて離婚に至っているので……。

結論から書かせていただくと、私は一人も満足に「弟子」も「後輩」も育てることができませんでした。いや、何人かの人には、出版社や編集者を紹介し、それがきっかけで、エッセイストの仲間入りを果たした人もいます。でも、私の力ではなく、そういう時代だったのです。そんな彼女たちは、私が育てたというより、思えば、チャンスの神様の《前髪》を掴む力が異常に強かった人たちばかり。自らの力で巣立っていきました。