1993年、『釣狐』で白蔵主を演じる万作さん(写真提供◎万作さん)

本当にその情景が見えてくる

狂言に身を入れながらも、『夕鶴』や『子午線の祀り』などの新しい分野に積極的に取り組んだのは、どういう経緯からなのか。

――父を含めて狂言の先輩たちの舞台をよく観るようになって、武智鉄二さんが東京へ招いた関西の素晴らしい狂言の人たち……茂山千作、弥五郎、忠三郎といった方々の芸を観たということが、まず僕の糧になりましたね。

武智さんは、東京の狂言は堅すぎてお能のようだ、関西のはより演劇的である、というお考えで、その影響によって、『月に憑かれたピエロ』も、武智さんのおすすめでやらされたわけなんです。

これは僕が敬愛する観世寿夫さんと二人で演ったんですが、武智さんが付ける振りには逆立ちがあって、僕は逆立ち得意だったけど、寿夫さんはできない。一生懸命僕が教えてね。

マイムなんだけど一種の舞みたいなものが作られていった中で、能のお仲間の人からも、「だんだん入り混じって、どっちが寿夫でどっちが万作かわからなかった」って言われて。あれだけ素晴らしい能の役者ですから、やっぱり似てると言われると嬉しかったですよ。