木下順二さんの『夕鶴』は昭和29年です。團伊玖磨さんがのちにオペラにする、その前に作った曲で、指揮は渡辺暁雄さんだった。武智さんは、主役のつうを寿夫さんにと思ってたんだけど、やっぱりお能の家の御曹司なので自由がきかない。それで(京舞井上流家元)四世井上八千代さんの息子さんの能楽師・片山博太郎(のちの九郎右衛門)がつうをつとめた。
彼も御曹司だが、東京と関西とでは立場が違っていた。つうは何もしゃべらないで、オペラのソプラノが陰で歌う。台詞のあるのは狂言の者だけで、与ひょうは茂山千之丞、惣どは兄の野村万之丞(現在の萬)、運づは僕でした。
『子午線の祀り』は昭和54年ですが、木下順二先生が義経役を万作に、というご指名でした。演出は宇野重吉さんなんですが、でも船頭の役でちょっと出て、「今日は船を出すには良い日和だ」とか一言二言の台詞がとってもよかった。
また義経が敵の首をじーっと眺めるところ。宇野さんがやってみせてくれると、本当にその情景が見えてくる。すごいな、と思った。
一方の滝沢修さんは阿波民部重能(あわみんぶしげよし)なんだけど、僕の義経がこう、鞭で打つと、「ああっ」と、その倍くらいのリアクションで受けて、ちょっと暑苦しい演技(笑)。言わば初代吉右衛門が滝沢修さんで、六代目菊五郎が宇野重吉さんでしたね。