私が何よりうれしく感じましたのは、親友小島一枝さんが女子四百米決勝で、堂々五分四十三秒一の日本新記録を作って、第六位に入賞されたことです。三百五十までは、小島さんはデンマークのフレデリクセンと並んで殿(しんがり)でしたので、どうなることかと、ハラハラしましたが、ゴール前二十米あたりからラストスパート物凄く忽(たちま)ちフレデリクセンを離し、オランダの強豪ワグネルを抜いて、ついに第六着として入賞したのでした。

自由型に於ける日本女子最初の入賞で全くすばらしいことでした。大きな外国選手を相手に、比較的小さい身体で、あれほど奮戦し、実力を思う存分発揮して入賞したことは、日本女子水泳界に赫々(こうこう)たる光彩を放つものといえましょう。

これが私の最後の一戦

思えば、これが私の――あるいは小島さんにとっても――最後の一戦となったのでありました。

決勝がすんだ時、勝ったうれしさと、これでいよいよやめるのかという感じが、ごっちゃになって、思わず一人で涙ぐみました。選手生活をした者ならでは味わえぬこの気持、――それは云いようもない寂しいものですが「何事も引き上げ時が大切である。この栄冠を最後として」という校長先生や天野先生のお考えと、私の気持とが一致いたしましたので、これ限り引退して、再び選手としては起たないことにいたしました。しかし、第一線から引退はいたしますが、今後も女子水泳界のためには、できるだけのお力添えはいたさせて頂きたいと存じます。

祖国に帰って、何よりも待たれるのは、小島さんと二人で、かの妙寺の山、塩見さんのお墓にお参りすることです。草深いあのお墓の下で、亡き名選手塩見梅子さんは、どんなに私たちの帰りを待ちわびて居られることか!そうおもうと、心はいつか故郷紀の河畔に翔(かけ)るのでございます。

10月4日、東京の宿舎にて――

 


※読みやすさのため、表記を新字新仮名にしています
※本記事には、今日では不適切とみなされることもある語句が含まれますが、執筆当時の社会情勢や時代背景を鑑み、また著者の表現を尊重して、原文のまま掲出します
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