墓前に誓った決意

おもえば、昨年一月二十日のその日――天野先生が、突然、私たち選手一同を学校のプールへお集めになったので、今頃何事かとおもって居りますと、先生は、いつにない悲痛な御表情で、私たちをじいーと見わたしながら、

「今日は、みんなに意外な知らせをしなくてはならない。今、云うが決して力を落してはいかんよ」

としんみり仰有る。不吉な予感にハッとして先生のお顔をみつめた時、先生はポケットから一通の電報をとり出された。

「今、私に、こういう電報が来た。……」

ふるえる手でお渡しになりました。私は、自分の目の誤りではないかとさえ驚きました。

――ウメコシス、ハハ――

「まあ、塩見さんが!?」

一瞬みんな顔を見合せると同時に、顔に手をあててしまいました。仲のよかった小島さんも私も、だれもかれも、みんな声をあげて泣いてしまったのです。

あんなに元気だった、まるで若鮎のようにいつも溌剌としていた、あんなに無邪気で面白かった塩見梅子さんが、突然、急死なさろうとは!? だれが、それをほんとうと思われましょう。しかも、それは哀しい事実でした。

その夜、すぐ、私は、天野先生と奥様、小島さんなどと御一緒に、夜行列車で発ち、翌日、九時半頃、妙寺の塩見さんのお宅にお伺いいたしました。

塩見さんが、――つい此(こ)の間、笑ってお話しし合ったその梅子さんが、今は冷たい骸(むくろ)となって、そこに横になって居られようとは!

私たちの着くのを、御両親は、今か今かと待ちかねて、棺にもお納めにならず、しかも、椙山高女の制服を召し、靴まではかせ、胸には、輝やかしい校章さえつけたまま……

「どうか、お言葉をかけて上げて下さい。梅子はこうしてお待ちしていました」

お母様は、こう涙声で仰有る。小島さんも私も、もう胸がいっぱいになって、その枕もとににじり寄ったまま、

「ああ、梅子さん……」

と云ったまま、後の言葉も出ないほどでした。美しい、まるで生きていらっしゃるような和やかなそのお顔! 白百合のようなその頬には安らかな微笑(ほほえ)みさえ浮べて……

「小島さん、今度のオリンピックには、どうかしっかりおやりになって」という切ない願いが、その軟(やわ)らかなお唇から、いまにも洩れて来そうな御様子……

「塩見さん……きっと、きっとやります」と叫んだまま、私も小島さんも、ワッとその場に声をあげて泣き伏してしまいました。

今年の六月六日、ベルリンへの遠征の直前小島さんと私は、妙寺の塩見梅子さんのお墓にお参りにゆきました。草深い山の中腹にまだ墓標も新らしい梅子さんのお墓、――

二人は墓前にぬかずいて、固くお誓いいたしました。

「塩見さん、お寂しいでしょうけれど、お待ちになっていらしって下さい。一枝も秀子も、これから、ベルリンへいって、貴女(あなた)の代りに力限り戦いぬいてまいります。今度こそ、きっと二人とも立派な成績をあげて来ますから……」こう固いお約束を交した塩見梅子さんです。その梅子さんのお写真を、クラウエン・ハイムの一室でじっとみつめていると、梅子さんがお写真からぬけだして、私の枕元近くにお坐りになって、

「前畑のお姉さん……明日はきっと勝ってね。私、そればかりを祈っています」

とでも言うようにやさしい表情、燃える瞳、――

「ありがとう、梅子さん、きっと頑張るわ」

手をさしのべて、ハッとおもうと、その姿は泡沫(うたかた)のように消え去って、薄暗い机の上に浮くお写真。

「塩見さん、明日は、きっとお守りしてね」

いく度(たび)か胸のうちにくり返して願いながら、私は、いつしか深い眠りに落ちてゆきました。

右は小島一枝