人の心を掴む力が父にはあった

瀬戸内 40代の初め頃、出版社主催の講演旅行で高松へ赴いた際、井上さんと初めて会いました。井上さんは奥さんのことを「美人なんだ。料理がうまいんだ」って初対面の私にしきりに自慢する。アホかと思いました。(笑)

井上 そうですよね。(笑)

瀬戸内 でも、嫌な感じではなかった。講演の前に、私は徳島の人形作家の取材を予定していましたが、井上さんが「あの人形作家、大好きなんです」と言ってついて来たの。私がビックリしたのは、その人形作家が井上さんをたちまち好きになって、彼の話を聞きたがったこと。

井上 父は、相手が一番言ってほしいことがわかるんです。

瀬戸内 そうそう。出会いからほどなく私たちは男女の関係になり、ある日、井上さんに誘われて横浜に行きました。港に停泊中の船に乗っていたロシア人女性に会うためだったのですが、私を「友達」と言って紹介するのよ。

井上 彼女がお土産に、自分がはいていたズロースを父に渡したんですよね。その話を寂聴さんから伺って、今回の小説にも書きました。実は、1992年に父が66歳で亡くなった後、業者を呼んで本などを処分したのですが、その目録に「井上光晴の書斎から見つかった使用済みパンティ」とあって。家族は「私たちの?」「洗濯済みだよね!?」と大騒ぎしたのですが、それだったんですね。捨てるきっかけがないまま、父の引き出しに眠っていたのかもしれません。

瀬戸内 ソ連の作家同盟に招かれてあちらに行った時、事務員だった彼女とすぐ仲良くなったらしい。言葉もろくに話せないのにね。

井上 そういう特殊能力はありました。(笑)

『あちらにいる鬼』(著:井上 荒野 /朝日新聞出版)