娘を捨てた女と母に捨てられた男が出会って

瀬戸内 私はかつて夫と4歳の娘を置いて出奔しました。一方、井上さんの母親は彼が4歳の時に家を出ているのです。だから母親を私に重ね、甘えるようなところがありました。

井上 父の"手作り信仰"はおそらくそんな生まれ育ちからきていると思うのです。母は父のために、うどんも蕎麦も粉から打っていた。父が「うちの嫁はどんな料理もできる」と言いふらすから、誰かが蒟蒻芋(こんにゃくいも)なんかを送ってきてしまい、蒟蒻までうちで作らなきゃいけなくなって。(笑)

瀬戸内 郁子さんはお嬢さん育ちで、結婚する時は味噌汁一つ作れなかったそう。

井上 うちにいっぱい料理の本があったから、一所懸命勉強したのだと思います。わが家はご飯をすごく大事にしていて、父が家にいる時は、朝も昼も夜もみんなで食べるのが当たり前でした。母が子供のために我慢していたということはないと思います。父が外ですることは気にしないと決め、その決意を貫き通したのでは。うちにいる時に仲良くできればそれでいい、と思っていたんじゃないかな。

瀬戸内 お宅に食事に呼ばれて行ったこともありましたね。

井上 尼姿でいらした時、初めてお目にかかって。私は高校生ぐらいだったと思います。まさか寂聴さんと父がそういう関係だったとは思いもしませんでした。女性が原因で両親が喧嘩するのを見たのは、1回だけなんです。だから、父の行動はなんか変だよなと思いながら、外に女性がいるのを大人になるまで気がつかなかった。父は、「俺には女が何人いても、あんたが一番だ」と言っていたと母から聞きました。母はそれを信じることにしたんでしょう。

後編につづく〉


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増補版-笑って生ききる-寂聴流悔いのない人生のコツ』(著:瀬戸内寂聴/中公新書ラクレ)

好評を博した金言集の決定版を約60頁の大増補!健康、夫婦、子育て、老い、人づきあい…あなたの悩みにそっと寄り添う、寂聴さんの熱いメッセージ。

作家として、僧侶として、瀬戸内寂聴さんはたくさんの名言を残しています。年齢を重ね、老いを受け入れ、周囲との人間関係や、家族のかたちも変わっていくなかで、私たちは、その言葉に心のよりどころを求めます。
本書は『婦人公論』に掲載された瀬戸内寂聴さんのエッセイ、対談、インタビューから厳選したものです。
私たちの気持ちに寄り添い、一歩を踏み出す勇気を与えてくれる瀬戸内寂聴さんの言葉を、この一冊にぎゅっと詰め込みました。