はじまりは、熱

入学前の練習に1、2日参加した直後、翔大は大阪で一人暮らしを始めてすぐに発熱してしまった。

毎日狭いバスに乗って練習に通う日々。
どんなに感染対策していても、そりゃあそそうだ。実家を出て気を張り詰めながら一人暮らしを始め、引っ越しの疲れも出てきて、まだ毎日の生活でさえ慣れるのに精いっぱいな時。野球の練習のをする以前に、息子の体は新しい空気になじめず悲鳴を上げ、 結果熱を出してしまったのだろう。 いわば「知恵熱」のようなことかもしれない。そのときはそう思っていた。

いまだにそうであるように、発熱をした時点で学校にも練習にも行けず、PCR検査を受けて陰性と判定されなければ一歩も外に出られない。 ワクチンはその当時接種率2割にも満たず、感染者数は毎日怖いくらい増え、熱が出たとしても検査や治療を受けるのが大変な時期だった。
大阪に住み始めたばかりでまだ学校にも通う前、最寄りのコンビニやドラッグストアの場所もよくわからないのに、PCR検査が受けられる病院など知るはずもない。

彼が入居したのは大学生や専門学校生が中心に暮らす学生会館で、朝晩食事つき。掃除が面倒なのにもかかわらずバストイレがついて4.5畳ほどの、恐ろしく狭い一人部屋。ほぼほぼベッドでいっぱいの身動きとれない空間に、一口コンロがあって一応自炊ができるということで、冷蔵庫と電子レンジを入れて住まわせた。そう。朝晩2食つきなのは安心だが、昼食はお弁当を作っていくか買うことになるので、自炊が前提。枕元でふくふくとごはんを炊かなければならないような、壮絶な狭さだ。

翔大の下宿部屋。ドアのすぐ手前から撮っているのでこれがすべて。激狭です

 

とはいえ、学校と野球の練習で、朝早く出て夜帰宅するわけで、ほとんど部屋で過ごすことがないと思い、ほぼ日当たりもなく、狭い・暗い・テレビない、独居房的要素満載の部屋にしてしまった。 でもここを出るまでの1年間に、この部屋でどれだけ長い時間一人で過ごすことになるのか、そのころはまったく想像もつかなかった。