夫が借金を残して失踪。無我夢中で働いたら

「別れた夫は、私が働くことに大反対。結婚する時、『どうせ大して稼げないんだから、お袋の面倒をみとけ』と言われたことが、30年経っても忘れられません」と、南田明子さん(56歳)は振り返る。夫にバカにされた仕事とは、公立中学の養護教諭。

「小さい頃から学校で働きたいと思っていましたが、普通の先生だと、点数で子どもたちに優劣をつけないといけないでしょう。だからどんな子も平等に支えられる、保健室の先生になりたいなあって」

大学卒業から6年間、やりがいを持って続けていた仕事。長男の出産時には産休扱いだったが、夫は復職を許してくれなかった。その後、4人の子どもを次々出産したり、姑の介護もあったりと、専業主婦にならざるをえない状態に。次第に養護教諭に対する熱意も冷めていった。

夫は脱サラして喫茶店を始め、その後、夜の商売を始めた。時代はバブル真っ盛り。一晩に何十万円も売り上げるような大盛況が続いた。ところが、バブル崩壊と同時に客足は減少。夫は羽振りのいい時に覚えたギャンブルから抜け出せず、湯水のように金を使う。そして、サラ金に手を出すというお定まりの自転車操業に。

生活費も不足するようになって貯金を切り崩す生活が2年ほど続き、「42歳の時、夫は突然『オレはもう逃げる』と言い残していなくなってしまったのです」。

残されたのは高校3年の長男を筆頭に高1の長女、中1の次男、小2の三男。そして南田さんを連帯保証人にした、1億3000万円もの借金だった。

ヤクザまがいの取り立て人が、昼夜を問わず押しかける。自宅を競売にかけても、焼け石に水。母子5人で小さなアパートへ逃げ込み、子どもたちの転校手続きを済ませ、南田さんはすぐに働けるような仕事を探し……と、無我夢中でもがいたが、先行きは暗い。どうしたらいいか、途方にくれた。

失踪する直前、夫は、「実家へ戻ればいいだろう」と無責任に言い放っていた。しかし、育ち盛りの子どもを4人抱えて、年老いた両親を頼るわけにはいかない。きょうだいたちにもそれぞれ生活がある。