追い込まれた南田さんは、自治体の無料法律相談所に駆け込んだ。そこで自己破産を勧められ、市の職員のサポートのもとで手続きを完了。同時に、「仕事を見つけて生活が安定するまでは」と、生活保護も申請した。「自治体の支援は本当にありがたかった」と話す南田さん。
14年ぶりに働くことは不安だったが、背に腹は代えられない。選んだのは、体力的に厳しい介護職。母子5人の生活を支えるには収入も低く、足りない分は生活保護費で補うしかなかった。「思い出しても記憶が曖昧なくらい、めちゃくちゃな生活が数ヵ月続きましたね」。
ところが、そこで役立ったのが、前夫に「儲からない」とさんざん罵られた教職員の資格。教育委員会に相談すると、母子家庭である南田さんには優先的に仕事を斡旋してくれた。はじめは産休の代用教員として、50歳からは私立中学の正職員として、南田さんはふたたび保健室の先生に復帰できたのだ。
「代用教員のお給料を受け取った日、それまでお世話になった市の窓口へ『生活保護はもう必要なくなりました』と連絡した時は、心の底からほっとしたのを覚えています」
一度は失った自信を取り戻した南田さん。今は収入が安定して余裕が出てきたため、小さなアパートから、個室が確保できるゆとりあるマンションに引っ越したという。
「難しいと思っても、一歩を踏み出せば必ず道は開けます。大事なのは、『生きていれば何とでもなる!』という勢いですよ(笑)」
と明るく南田さんは語ってくれた。
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最初はおこづかい稼ぎでも、10代の夢の復活でも、あるいはやむにやまれぬ状況であっても、外の世界に飛びだして人生が変わった女性たちがいる。
「自分には無理」「私なんて誰にも求められていない」といった思い込みを捨てて、ハードルを乗り越えれば新しい未来が見えてくるものだ。40代からのスタートは決して遅くないと、3人の女性たちの輝く笑顔が教えてくれるようだった。