嵐の海をがむしゃらに漕ぎ続けて3年、ある日急に「ボートにエンジンが付いた」と感じたそうだ。彼女が立てた方針が功を奏し、だんだんと会社の収益も上向いてきたのだ。そして、7年目――。

「気付いたらボートが立派な客船になっていました(笑)。その頃から不思議と、社員やスタッフ、お客様と心が通じ合うようになりはじめて」

自分と家族のことだけ考えていればよかった主婦の頃よりも、視野が広がったという中村さん。プライベートの過ごし方も変わったという。

「専業主婦の頃は、車の運転をしたこともなく、一人で遠くへ行ったこともありませんでした。ところが今は一人で旅行し、現地でレンタカーを借りてがんがん飛ばす。スカイダイビングにも挑戦。10年前の私が見たら、びっくりするでしょうね」

数年前に夫はリタイアし、今はこづかいの足しにアルバイトをしている状態だ。まさに立場が逆転。中村さんが一家の稼ぎ頭になっている。夫は、毎日忙しい妻のために、夕飯を作って待っていてくれるそう。

「縦の物を横にもしなかった夫が、ずいぶんの進歩だと思います。ただそのご飯が……あんまりおいしくないのが今一番の悩みかしら」と、中村さんはいたずらっぽく微笑んだ。

 

高校生の頃の夢、看護師に挑戦して

人の名前や漢字をぼろぼろ忘れる中高年にとって、資格試験の勉強など、考えるだけで頭が痛くなりそうなのに──。なんと40代半ばから勉強を始め、51歳で看護師の資格を取って働き始めたのが、大堀菜穂子さん(56歳)だ。

大堀さんは、26歳まで勤めた会社を、長男の出産と同時に退職。2年後には次男が生まれた。

「夫は、妻も働けばいいという考えでしたが、預け先も今よりずっと少ない時代。私の母も専業主婦でしたし、結婚したら家庭に入るのが当然と思っていました」

また、夫の海外転勤にともなって子どもを連れてアメリカで生活していた時期もあり、フルタイムの仕事をするのは実質的に難しかったのだ。

「海外では、料理や手芸の教室に通って、それなりに楽しく過ごしていました。でも、『今の暮らしは全部夫が用意してくれたもの。自分の力で手に入れたものが一つもないんだわ』という思いが、頭の片隅から離れなかったのです」

高校進学のため先に長男が、続いて次男が日本に戻るのに合わせて、大堀さんも帰国。そこから何かしたいと考え、高校生の頃に看護師になりたかったことをふと思い出した。