出口の見えないトンネルを進んでいくしかないと
具体的に私が焦りを感じていたのは、文学賞の選考委員になれなかったこと。当時ライバルだと言われた人たちが次々と小説誌の新人賞の選考委員になっていく一方で、私にはなかなかお声がかからなかったのです。
そこで私が決めたことは、作家としてちゃんと仕事をしていこうという至極真っ当なことでした。一つ山を越えたら、次のもう一つの山へ。目の前にある仕事を着実にこなしていく。父親の享楽的なDNAで生きてきた期間は強制終了させ、母親譲りの真面目さを発揮し始めました。
この頃の私は、これといったヒット作も出ず、直木賞以降は賞も獲れていません。
「ポピュラリティもなければステータスもない。いったいどうすればいいの」
八方塞がりの状況でしたが、地道に書き続けるしかないと、出口の見えないトンネルを進んでいくしかありませんでした。