男性名詞、女性名詞のない日本語

ここで一気に時代が下って幕末・明治期に目を向けると、この当時、来日した西洋人が驚いたのが混浴でした。

「男も女もおたがいの視線にさらされているが、恥じらったり抵抗を感じたりすることなど少しもない」(エドゥアルド・スエンソン/長島要一訳『江戸幕末滞在記』)

と、デンマーク生まれの海軍士官スエンソンは言い、トロイア遺跡の発掘で知られるドイツ生まれのシュリーマンは、

「『なんと清らかな素朴さだろう!』初めて公衆浴場の前を通り、3、40人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである」(ハインリッヒ・シュリーマン/石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』)

と、老若男女の混浴に驚きと感動を示しています。面白いのは、混浴の状況を説明する際のシュリーマンの形容です。

「名詞に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである」(同前)

ドイツ語はもちろん、ラテン語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語等、十五か国語を話したり書いたりできた(シュリーマン/村田数之亮訳『古代への情熱―シュリーマン自伝』)という、語学の天才ならではの指摘ですが、いわれてみると、日本語には性がないのです。