生きるのが楽しい、と言えるように

昨年、社会福祉協議会の支援を受け、私も含めた4人のボランティアで高齢者向けのサロンを開設しました。シニアのための居場所づくりは、ここ数年の私の悲願でした。

きっかけは父の言葉です。父は認知症の母を支えようと料理の腕を磨くなど、さまざまな努力をしていました。でも報われない思いがあったのでしょう。ふと、「お母さんはあんなになっちゃうし、僕も体がつらい。生きていたっていいことはない。早く死にたいよ」と言ったのです。

多くの人が長生きするいま、後半生を楽しく過ごせないなんて、それこそ悲しすぎるじゃないですか。父のような思いをする人を減らす社会を目指すにはどうしたらいいか、考えるようになりました。

年齢を重ねれば、家に引きこもりがちな人も増えるでしょう。誰かとコミュニケーションをとらずにいると、心身ともに衰えていくのは私自身が経験済み。だからみんなで集まれる場所をつくりたかったのです。

サロンでは体操やコグニサイズ(認知と運動を結び付けたエクササイズ)などのアクティビティ以外にも、朗読会や季節の行事といったイベントを開催。イベントは準備も一緒にしますから、さながら大人の文化祭のよう。

最初、「皆さんの前で朗読してみませんか」と声をかけても「いえ、私なんか」と遠慮なさっていた方も、最近は「やってみたいです」と前向きに。皆さんの変化を見ると、私もうれしくなります。

振り返ると、アナウンサーの経験も、専業主婦のモヤモヤした思いも、親の認知症や看取りも、夫とのつらい別れも、すべての経験がいまの私をつくっているのですね。

昨年、還暦を迎えましたが、まさに一巡りして新たな人生が始まった、というワクワク感があります。そして誰かがワクワクするお手伝いもできるなら、これほど幸せなことはありません。

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