「死にたい」と口に

それでも渋っていた夫ですが、2006年、いくつかの検査を受けたところ、脳の言語野が萎縮していることが判明。最終的に夫の先輩が紹介してくれた病院で、アルツハイマー病との診断が下りたのです。このとき夫は59歳。「結果を聞いてすっきりした」と観念したような表情でしたが、内心は相当ショックだったと思います。

診断当初は、「死にたい」と口にし、突然、茶の間で湯吞茶碗を床にたたきつけて割ったことも。心のなかのマグマが噴出したのでしょうか。「なんで僕が」と……。何十年も一緒にいますから、彼の胸の内は想像できます。できないことが増えて、さぞ悔しかったのでしょう。

夫の代わりに書斎を片づけていたとき、50代半ば頃の日記帳を見つけました。そこには漢字の練習の跡が。英語で「認知症か」とも記されていて、本人はこの頃すでに疑っていたようです。

脳外科医だったからこそ、誰よりも認知症を恐れ、絶望のなかで葛藤し、抗っていたのでしょう。その間、職場ではどうしていたかというと、秘書の方や周囲の方々が夫の行動をフォローしてくださっていたと、あとで知りました。

夫は医師の仕事が好きでした。人の命を救いたいという思いから、苦学の末、医師の道へ。昔は脳外科医が少なく、夜、家で寛いでいるときでも、「緊急の患者さんです」と電話がかかってくると、さっと着替えて「ちょっと行ってくる」。休日は家族でよくドライブや小旅行をしましたし、人一倍エネルギッシュな人でした。

夫と私の出会いは、ともに大学生のとき、無教会派キリスト教の集会で。私は卒業後、高校の家庭科の教師になり、結婚して娘2人、息子2人に恵まれました。結婚退職後は子育てに専念、末っ子が小学校に入ったとき非常勤で復帰。その後、夫の東大勤務により退職し、栃木から東京に引っ越しました。

そして、診断後の2006年3月、夫は定年を待たず、59歳で退官。思えばここから夫は、新たな人生に踏み出したといえるでしょう。