講演会の壇上で、笑顔の晋さんと(写真提供◎若井克子さん)

初めての講演は大失敗

この日を境に、私たちは前を向き始めました。まず沖縄を引き揚げて栃木の家に帰宅。するとJCMA(日本キリスト者医科連盟)の国際交流委員長に推薦され、夫はそれを引き受けたのです。

最初の仕事は、機関誌の挨拶文。私が思い切って「病を公表しては」と提案すると、夫も賛同。ここで初めて自分が認知症であることを公表しました。その後、新聞社の取材を受けたのを皮切りに、「若年性アルツハイマー病と共に生きる」といったテーマでの講演依頼が続くことになります。

じつは、初めての講演は大失敗。司会者の問いに、夫は一言も発することができませんでした。緊張したままの夫をかわいそうに思いながらも、私は手を貸す余裕もなく終了。散々な結果に、もう依頼は来ないと思っていたのですが、しばらくするとまた連絡をいただきました。

夫が一言も話せなかったことを伝えると、コミュニケーションのプロの方がつくのでご心配なくと言われ、次の講演では司会の方が夫の言葉を引き出してくれたのです。「まさか自分が認知症になるとは思っていらっしゃらなかったですよね?」「思っていなかった」と、夫が答えやすいような応答で大成功。私自身、とても勉強になりました。

2009年、NPO法人「DIPEx-Japan(ディペックス ジャパン)」(患者本人の語りを記録・保存する活動をしている団体)による自宅でのインタビューでは、リラックスした様子で、彼本来の人柄がよく表れていました。

「なんで自分なんだと思ったが、私は私であるということがやっとわかった」「この病気は何もできないと言われるが、私は皆さんにそうではないんだよと言いたい」「妻とは喧嘩もあるけれど、一緒にできている」といった気持ちを聞くことができてハッとさせられましたし、とてもうれしかったです。

診断当初は「自分は何もできずに朽ち果てるのか」と怒り嘆き、病を語ろうとしなかった夫ですが、病を公表する活動は彼の苦悩に意味を与えてくれたようです。

日本各地での講演会は23回を数えましたが、2013年を最後に終わりにしました。夫も60代後半、症状が進み、人前で話すことが難しくなったからです。移動の不便やお手洗いの失敗も乗り越え、夫と2人でなんとか頑張ってこられたと思います。