「居場所」の大切さ

2010年1月には、身体的な衰えや生活の不便が増えていたこともあって介護保険を申請。公的保険はありがたかったです。

一番大変だったのは、徘徊の症状が出たとき。夫が玄関の鍵を開けて出ていってしまい、子どもたちと手分けして探し回ることもあって。夫の携帯にGPSをつけて対応しました。

言葉のリハビリのためにもデイサービスを何度か利用。最初、夫はご機嫌で通っていたので、私は一人の時間にほっと息をついたものでした。でもあるとき、施設から連絡があり、夫が「ちがう」「やめて」と大声を出して興奮状態に陥ったと。嫌なときは行かなくていいよと伝えると、「僕の住んでいる世界は大変なんだよ」と言うのでした。

70代に入った夫は、言葉を失い、歩けなくなり、起き上がれなくなりました。意思表示はウォーという叫び声。長男が「パパは自分がボケないように声をあげているんだよ」と言うのを聞いた私は、何かが腑に落ちて。夫に「思いきり声を出していいよ」と言うと、「はい」との返事が。まるで「正解」と褒めてくれたように感じたものです。

最後まで夫に話しかけ、〈声〉に耳を傾けました。子どもたちが訪ねてくると楽しそうな顔に。夫が好きなクラシックの曲をかけて過ごす、おだやかな時間もありました。交わした最後のやりとりは、「私のために長生きしてね」と声をかけたとき。夫は無言で大きくうなずいてくれました。

そして、2021年2月、夫は誤嚥性肺炎で息を引き取りました。享年75。家族みんなで看取ることができました。

認知症とともに生きていくのは容易ではありません。実際には、日ごとに失うものやできなくなったことが増え、やるせない思いもつのります。でも、夫は地位も名誉も何もない「あるがまま」の自分を受け入れたことで、本来の彼らしさが深まったように私には感じられました。15年、長い道のりでしたが、病は人生の過程の一つにすぎないと受けとめています。

ある講演会で、「人の価値」について聞かれた夫はこう言いました。「一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい」。老いや死は避けることができませんが、人は自分の信じるところに沿って、自分の居場所を持つことができると思うのです。