妻のお骨は今もキッチンに
現在、テレビの仕事はゼロですが、親父が創業した水道メーター製造・販売会社「ニッコク」で、代表取締役会長を務めています。会社には、月曜から金曜まで毎日行っています。お昼の12時半ぐらいに出社して、午後3時半には退社。実のところ、会長の仕事なんて1時間もあれば終わっちゃいますから。(笑)
12年の5月に妻の靖子ががんで亡くなり、以来、神奈川県・鎌倉の家でひとり暮らし。何とかやっていますよ。
仕事がもっとも忙しかった時は、週に朝に6本、昼に5本の生放送のレギュラー番組をもち、加えて特番もあったから、1週間に16本くらいテレビに出てたのかなあ。仕事を終えると銀座に繰り出し、帰るのは深夜。帰って、ちょこっと飲みたい僕のために、妻は何時になっても支度して待ってくれている。そして、朝の生番組があるから、数時間の睡眠ののち、またテレビ局へ。
そんな日々でも、妻は文句ひとつ言わず、付き合ってくれました。僕の毎日の衣装の組み合わせは、すべて妻がスタイリストとして考え、用意してくれていた。今日着ている服も、妻が生前に買っておいてくれたものです。
妻はずっと僕を支え続けてくれた《人生の同志》でしたから、亡くなって茫然自失の日々でしたよ。妻を失ったあと、間をおかず亡くなる夫も多いと聞きます。だけど僕は妻のあとをすぐに追うのではなく、神が与えし運命に従い、「まだ生きよ」と言われるのなら、その日々を少しでも楽しく生きたい。それが先に逝った人への供養だと考えました
妻のお骨は納骨せず、彼女の好きだった場所、相模湾が見渡せるキッチンの窓辺に置いてあります。「そのうちに……」と思いながらも、何となく納骨のタイミングを逃してしまって。今も毎日、話しかけているんですよ。