ダリアの球根

「ダリアジェンヌ」で地元産業をPR

二人姉妹の長女として生まれた梓さんは「いずれ実家のダリア農家を継ぐ」ということが常に頭の中にあったという。職場で知り合った介護福祉士の彼は江戸っ子だったが、梓さんの地元地域への思いを受け止め、結婚を機に二人で宝塚に戻った。

久しぶりにダリアの生産地である地元に戻ってみたら、愕然としました。私が知っていたころの賑やかで活気のあった作業場などが、閑散としていて、働いているのは祖父母たちの年代の超高齢者ばかり。若い人たちは町を出ていってしまい、跡継ぎを育てることもしていない。需要はあるのに、生産性を上げるために知恵を絞る余裕もなく、ただ老体に鞭打って忙しく立ち働いているんです。田舎の人っていい人が過ぎて商売が下手なんですよね。これは私がなんとかしなければ!!と震えました。

東京なら捨てるのもお金がかかるけれど田舎は土地がたくさんある分、商品にならない球根も捨てしまっているんです。ダリアの球根って、花の咲いてくる芽がついているもの以外は商品になりません。これはもったいない! この球根を使って何か農家たちの収入に結びつけることができないか、と必死で考えました。地元には「ダリア園」があって生のダリアを摘んで持って帰ることができます。でも、長持ちするおみやげがなかったんです。そこで廃棄される球根を活用して、クリームやせっけん、ハーブティーなどを開発しました。

廃棄される球根を活用して作った製品

私がふるさとのために役に立てるとしたら、宝塚のダリアの里にはこんなに素敵なものがあるよ!とPRすること。ダリアジェンヌというブランドにすると、応援してくれる人も増えてきました。

でも、地元ですべて受け入れられているわけではありません。売名行為であるとか、自分たちを踏み台にしてすぐにやめるんだろうとか、誤解されて挫折も味わいました。ダリアジェンヌ立ち上げ当時は、長男を産んだばかり。とにかく当時90周年を目前にした宝塚のダリアの歴史を後世に伝えて、この地元をまた活気あふれる町にしたいという一心でした。