74年、『スカパンの悪だくみ』に出演した際の橋爪さん(左)

うーん、あるときまでこれ、人に言わなかったことだけど、十何年か前にポロッと言っちゃってね。僕の母は親父の籍には入ってなかった。つまりそういうこと。親父は週に一回か二回しか帰ってこない。

でも末っ子の僕のことをずうっと可愛がってくれて、五つくらいのときから大阪の歌舞伎座へよく連れてってくれた。なぜか3階席へ。そして贔屓の市川壽海さんが出てきたら、突然横で「成田屋ぁ!」って声掛けるんですよ。うわぁ! 普段は謹厳実直な親父がこんなことするのかって、目から火が出たような体験だった。

その後、東京へ転校してからも、歌舞伎座の立ち見席へは毎月のように通ってました。当時好きだったガールフレンドと一緒に。4階まで階段上って、あのころ3階席は空いてたから暗くなると柵乗り越えて、前へ移動する(笑)。僕が好きだったのは八代目松本幸四郎(初代白鸚)、彼女は二代目尾上松緑が好きだった。

まぁ、そんなことから、天竺徳兵衛も景清も演れたんだろうね。そうそう、渋谷にあったアングラの発信地みたいなジァンジァンって小屋で、学士俳優の嵐徳三郎さんの忠兵衛、吉行和子さんの梅川で「封印切」(『恋飛脚大和往来』)の敵役、八右衛門をやったこともありましたよ。