翻訳は折り合いをつけて近づけていく、という妥協の作業
酒井 以前、『枕草子』を現代語訳した時、訳すことの難しさを痛感しました。同じ日本語ながら、1000年のタイムギャップがあると言葉も感覚も違って、それを現代の人にどう伝えればいいのか、と。ましてや外国語となると……。
岸本 確かに、アメリカ人と日本人は気質も食生活も住んでいる場所も違うため、すべてを理解して完璧に訳すのは無理だと思っています。でも、人間のベースにある喜怒哀楽は同じ。その部分は揺るがない、と思わないと翻訳はできません。完璧に訳すことはできないけれど、折り合いをつけて近づけていく、という妥協の作業でもあるんです。
酒井 言葉という表現手段の、さらに奥を見るのですね。
岸本 以前テレビを観ていたら、飛行機事故の遺族の様子が流れてきたことがありました。アジア系の人は転げまわりながら号泣し、アメリカの人は静かに涙していてすごく対照的だった。でも、家族を失った悲しみの質量は同じです。感情の表現方法は文化によって違うのだ、と強く感じた出来事でした。
酒井 たとえば「悲しみ」を表すにしても、たくさんの言葉がありますよね。その中からピッタリくる言葉を探すために、どのようなことをしているのでしょう。辞書はよく引かれますか?
岸本 もちろん引きます。でも結局、辞書に載っていないことのほうが多いんです。これは翻訳の師匠、中田耕治先生に言われたことなのですが、「辞書はとにかく引いて引いて引きまくれ。ただしその辞書に載っていない言葉を探すために引け」と。
酒井 いま、私も心にメモしました。(笑)