翻訳家の岸本佐知子さん(左)と酒井順子さん(右)(撮影:洞澤佐智子)
海外文学を読む時、文化の違う遠い国が舞台であっても、そこに描かれている情景をありありと思い浮かべることができるのは、翻訳の力によるものです。どう言葉を探し、紡いでいるのか。あまり知られることのない仕事の裏側を、翻訳家の岸本佐知子さんに酒井順子さんが聞きました(構成=村瀬素子 撮影=洞澤佐智子)

辞書に載っていない言葉を探す

酒井 読書の秋がやってきました。今日は、英米文学の翻訳家である岸本佐知子さんに、翻訳の仕事についてや言葉との向き合い方など、いろいろとおうかがいできたらと思っています。

岸本 今日は、お話しできるのを楽しみにしてきました。

酒井 海外文学ファンのなかには、翻訳家の名で作品を選ぶ人が少なくありません。私も、作家の名前は知らなくても、岸本さんの訳なら面白いに決まっている、といつも〈岸本買い〉しています。翻訳する本はどのように選んでいるのでしょうか。

岸本 出版社から依頼されることもありますが、私の場合は、翻訳してみたいと思った本を出版社に提案することが多いですね。

酒井 岸本さんが翻訳し、2019年に出版されたルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』は大きな話題になりました。3度の結婚と離婚をし、4人の子どもを育てたシングルマザーの著者が、自らの体験を軸に物語を紡いだ短編集ですが、心の中の沼からすくい出したような強い言葉に掴まれました。ルシアの作品を岸本さんが「発見」されたきっかけというのは?

岸本 彼女の原書を読んだのは10年くらい前のこと。私が何冊か翻訳しているリディア・デイヴィスという作家が彼女のことを絶賛している記事を読み、その存在を知りました。作品を取り寄せて読んでみたら、あまりの面白さに心を撃ち抜かれまして。

その時は、アメリカでも知る人ぞ知る作家でしたし、すでに亡くなっていたこともあり、趣味でゆっくり訳していければと思っていたのです。でも、2015年頃からアメリカで再注目され、慌てて「私が訳します!」と手を挙げました。(笑)