文章から聞こえる声を探して、伝える

酒井 『クマのプーさん』という7文字が持つ力にいま気づかされましたが、私たち読者は、原文と訳されたものを見比べる機会が少ないため、翻訳のすごさを想像しにくいことが残念です。訳す際、わかりやすくするために少し手を加えるなど、いわゆる意訳をされることはあるのでしょうか。

岸本 これは、よい翻訳とは何かという価値観の問題でもあるのですが、私は手を加えることはしません。これも師匠からの教えなのですが、「愚直なくらい直訳」がいいと思っているんです。もっとも、直訳といっても、原文の一語一語を忠実に辿って訳す「逐語訳」ではありません。

酒井 そのあたりのさじ加減もまた難しそうですが、では、岸本さんが目指す理想の翻訳とは。

岸本 たとえば英語で書かれた本を訳すとして、英語を母語とする人が読んだ時に受ける印象を、日本語で読んだ時も同様に与えられる、というのが理想です。そのために、語順を変えたり、元の意味から多少離したりしても全体的な印象に近づける、という方法をとることもあります。

酒井 原書の内容はもちろんのこと、印象ごと伝えるのですね。

岸本 そうですね。でも一番大事にしているのは、文章の手触りかもしれません。「何が書いてあるか」も大切だけど、「どういうふうに書かれているか」。

酒井 作者の人格のようなもの。