自分よりギャルのほうが、よほど度胸とやさしさをもっていた

さて2学期、その選択授業で5〜6人ほどのグループを組んで演習をすることになった。グループは友人どうしで勝手に組んでくれたらいいと思っていたが、1年目の教員としては、そうやって放り出してちゃんと決まるのか、内心ひやひやしながら眺めていた。

ある程度グループが決まっていくと、案の定、ふたりの女子が取り残されているではないか! ひとりは以前「アニメ監督の押井守を知っている人?」と尋ねた際に手を挙げた女子で、もうひとりもあまり他人とつるまないタイプの女子。うわあ、どうしよう。すでに決まっているグループを解体するほどの度胸ももてず、ふたりの女子にどのように声をかけていいかもわからない。

20代なかばにもなろうかという男がそうやって右往左往しているさなか、最初にその状況を察知したのがギャルグループだった。すでに仲良しの5人だか6人だかで確定していたグループを「分かれね?」かなんか言いながらふたつに分解し、さっそうと残された女子ふたりに声をかけて、自分たちのグループに招き入れたのだ。かくして、内気なタイプと声の大きいギャルの混合グループが誕生することになった。

『学校するからだ』(著:矢野利裕/晶文社)

いま振り返れば、高校3年生という存在を低く見積もりすぎだし、ギャルに対してはつまらないレッテル貼りをしていたと思う。しかし、ギャルグループがなんの逡巡もなく、さっさと合意して自分たちのグループを解体し、あまり交流のない人を招き入れた光景にはけっこう感銘を受けた。

ひるがえって、人知れず右往左往している自分が恥ずかしくもなった。自分よりこのギャルたちのほうがよほど度胸とやさしさをもっているではないか。よほど精神的に大人ではないか。取り残されたふたりを見るや秒でグループを解体し、新しいグループを再編成したギャルたちの姿に、かつて自分のことを批判してくれたギャルの友人のことを思い出した。