番組の最後にちょっと名前が出るだけの存在

それでも、「大阪ドームの感謝祭で歌う仕事」と言われて、「ドーム一杯のお客さんの前で歌えるんや!」と、張りきって行ってみたら、「大阪ドームの入り口の脇に置かれた台の上で入場客の列に向けて歌う仕事」だったという程度のことは、よくありました。競馬場に呼ばれて、何万人もの前で歌うつもりで行ったら、なぜかお客さんが出走馬を見に来るパドックの横で歌っていたこともあります。

あの頃、堀江さんから言われた印象的な言葉があります。それは「私たちって、番組の最後にちょっと名前が出るだけの存在なのよ」という言葉です。アニキは「顔のない歌手」と呼ばれたこともあったそうです。

『ゴールをぶっ壊せ』(著:影山ヒロノブ/中央公論新社)

つまり、アニソンシンガーの地位は今よりずっと低かった。いや、「低い」というよりも、世間はアニソンシンガーという職業を「認知していなかった」のだと思います。アニキの言葉は、当時の状況をうまく表しているのかもしれません。当時、子供向けのショーでは、名前で呼ばれるより、「うたのおにいさん」と呼ばれることの方が普通でしたから。

「影山ヒロノブ」の名前で大きな会場を一杯にできる今とあの頃とを比べれば、状況はまったく異なっています。