影山さんが「アニソン」という言葉が浸透するまで経験した苦悩とは――(写真提供:ハイウェイスター)

 

16歳でデビューしたバンドは4年で解散。そこからノーギャラライブや15年にわたるアルバイト生活を経て、今頂点に立つ、アニソン界のパイオニア・影山ヒロノブさん。歌い手の地位が今よりずっと低く「うたのおにいさん」と呼ばれていた時代から、胸を張って職業を「アニソンシンガー」と言えるようになるまでの苦悩を綴ります。しかしその影山さんでも、昨年12月に亡くなられたアニキこと水木一郎さんほどの壮絶な経験はしたことがないそうで――。

「職業はアニソンシンガー」と言えるようになるまで

俺が胸を張って「自分の職業はアニソンシンガーです」と言えるようになったのは、21世紀に入った頃からではないかと思います。

「アニソンを下に見ていた」とか「アニソンを歌っていることを隠そうとしていた」というわけではありません。ただ単に、ごく最近まで、業界外の人に「アニソンシンガー」「アニソン歌手」と言っても、「?」という顔で聞き返されてしまい、ちゃんと意味が伝わらないことの方が多かったのです。

それこそ20世紀の終わり頃まで、アニソンの省略前の言葉である「アニメソング」という呼び方すら一般的ではありませんでした。俺が「電撃戦隊チェンジマン」でこの世界に入った頃、アニメや特撮の主題歌は、全部まとめて「まんがの歌」と呼ばれていたと記憶しています。

おそらく「アニソン」という言葉が、CDタイトルやジャンル名として使われ、さらに一般の人にまで浸透したのは、早くても2000年あたりだったのではないでしょうか。

アニキや堀江さんより、だいぶ遅れてアニソンの世界に飛び込んだ俺の場合、さすがにアニキたちみたいに、「地方のキャンペーンでの『舞台』がビールケースだった」「マイクではなく、顔が隠れるようなラッパ型の拡声器を渡された」というような壮絶な経験はしたことがありません。