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母が認知症とは思いたくない 膠着状態を打開したのは特殊詐欺だった
医者だって不健康なことはある
なぜ、母はお金にこだわったのか 見えない介護 専門家に聞いてみた

医者だって不健康なことはある

脳のMRIをとり記憶力の検査をしたら、海馬のまわりに空間ができていて「認知症」と院長先生。病院に行く数日前、毎日新聞認知症予防財団が開いた認知症最前線の講演会を聞いていたので、説明は理解できた。以降、数ヵ月に1回、通っている。

「院長の体重 103.7kg」。待合室の白板にはいつもその日の院長先生の体重が書かれている。そう、かなり太っている。しかも、通い始めて4年超、減るどころか、おそらくコロナのせいで増えている。母が病院に行く日はカレンダーに記してあり、「どこの病院?」と母が聞く。そして「あのガンガン大きな音がする機械に入るところだったら行かない」。MRIはかなり苦手で頭に残っているらしい。

私は言う。「あのデブの先生のところ」。「ガンガン」に比べ「デブ」をどれだけ覚えているかは分からないが、「あのおデブちゃんね」と笑って病院に行ってくれた。今は「ガンガン」も「デブ」も記憶から失せつつある。昨年11月に行った時、白板の数字は108㌔超。「ダイエット中とか書いてあるのにまた太ったよ」と母に話しかけると、おかしそうに「お相撲さんみたい」。

院長先生は、母がコーラスに通っているとか近況を話すといつも「すごい。それでいいよ」と笑って励ます。コーラスも毎週行く前、〈100回〉の日付確認から着替えまで大騒ぎ。いずれ私が送り迎えしないと通えなくなる。先生は毎日一緒じゃないから、励ましてるだけでいいよね」と、私は心の中でつぶやく。

「医者なのに、そんなに不健康に太っていていいのか、示しつかないんじゃないか。顔色悪いし」とも。

でもある時、白板の体重を見ていて、思った。完璧な人間はいない。医者だって不健康なことはある。何が完璧かどうかの物差しも人や社会によって変わる。がんばってもどうしようもないことはある。いわんやをや、誰でもなり得る認知症、いちがいに不幸とするのは偏狭だ。受け入れて人間らしく生きていくことが重要だ--もしかしたら院長先生は体重を記すことでこんなことを伝えたいのではなかろうか。私はそんな境地には全く達していない。

母が処方されている認知症の薬、アリセプトは幸いなことによく効いているようだ。長谷川式スケールなどの認知機能テストの結果は、飲まなかった場合の認知能力の下降線よりはかなりなだらかだ。院長先生もグラフを見せて母に説明し、勇気づける。毎朝「薬飲んで」と繰り返すのも億劫なのだが、と私はまた心中つぶやく。